とおるくんのインディアナ大学留学日記
これは私(内藤
徹)が、1995年から1996年まで米国インディアナ大学ブルーミントン校に客員研究員として留学した時の記録です。この留学に於いて細江守紀教授、ビジネススクールのラスムセン助教授ならびに日本で支えてくれた北村浩一君、有馬弥重さん、瀧井貞行さんに感謝の意を表します。
- 1995年9月22日 東京の学習院大学で理論計量経済学会全国大会に参加するため東京へ向かう。ひろ子ちゃんに最後の別れをいう。当日は雨で車が渋滞し、見送りに来てくれた片桐先生、北村君、有馬さんを待たせてしまう。
- 1995年9月25日 東京での学会終了後、成田で細江守紀先生と待ち合わせる。12:30発のJAL010便シカゴ行きで日本をあとにする。
- 1995年9月25日
米国シカゴオヘア空港に着陸、おおよそ13時間の飛行。体はグッタリしつつもブルーミントン行きの便に乗るためアメリカンの13番ゲートに移動する。チケット記載どおりアメリカン航空でブルーミントンに到着するがINではなくILのブルーミントンに到着する。結局、シカゴまで引き返し、インディアナポリスで1泊する。
- 1995年9月26日 インディアナポリスHumpton
Hotelに1泊したのち、ブルーミントン(IN)にシャトルバスで移動する。IMUに到着後、ラスムセン夫人の案内でEigenmann
Hallに移動する。シーツ等を購入するためにtargetに行く。自分の部屋を片付けてその晩
、初めてホールの食事を食べるが余りのまずさに絶句してしまう。
- 1995年9月27日
一昨年のコンファレンス以来、ラスムセン教授と再会する。ビジネススクールに移動して、コンピューター、研究室の案内をしてもらう。初めてのビジネススクールでドキドキしてしまう。その後、キャンパス(1)
キャンパス(2)を見て回る。
- 1995年9月29日
シュラバスで目をつけていた講義を初めて覗く。しかし、何を言っているのか全く理解出来なかった。まるで、字幕のないロシア映画を見ているようだった。授業が終った後、少しだけ淋しい気分になる.夕食をラスムセン宅でいだだく。
- 1995年10月1日
日本との連絡用に電子メールの設定を始める。こちらか容易送信できるのだが、日本からなかなか届かない。細江先生と相談した結果、当面の間はFAXによる連絡をする。
- 1995年10月5日 第一回目の論文指導が始まる。
- 1995年10月6日
こちらに来て初めて日本人の留学生と友達になる。日本で会話できることの素晴らしさに改めて感動してしまう。あと、タイのTanyaさんとおともだちになり、皆吉慎一郎くんと知合いになる。
- 1995年10月14日
ドイツからやってきたバイオリニストの村川千尋さんとお友達になる。彼女は会話が非常に上手でした。この頃から、電子メールで北村君や有馬さんと交信が可能となった。毎日の情報が楽しみで競馬、日本シリーズなどの結果を送ってもらう。
- 1995年10月19日 第2回目の論文指導 このころ、安田香織さん、
ふみえさんふみえさんとお友達になる。また、やすこさん、とし君とも知合いになる。合いになる。この頃、食生活も限界に着ていたが、食べるものはこのドミトリーの食事しかないのであきらめて食べる。また、同じ福岡市しかも、自宅から車で5、6分のところに住んで、なんと母校西南学院大学の先輩である植田久子さんにである。
- 1995年10月31日 ハローウィンパーティーに参加する。みんなと飲んで踊って楽しかった。しかし、入口にはお巡りさんがいてIDを見て年齢を確認していた。あちらでは飲酒は厳しかった。ちなみに僕がいたインディアナ州では日曜日はお酒を売ってもらえませんでした。
- 1995年11月1日 インディナに来て初めて雪を見る。昨日まで割と寒くないですねという話しをしていたが一気に寒くなる。Hardrock
Cafeのジージャンしか持ってきてなかったのでその週の日曜日にカレッジモールにダウンコートを買いにいく。
- 1995年11月8日 論文指導。費用関数やパラメーターの場合分けの課題を先生からもらう。何とか出来そうだがかなりややこしい。
- 1995年11月19日 細江先生のお宅へ食事に招待される。細江先生の奥さんが来られており、久々に日本料理を口にする。本当に美味しかった!
- 1995年11月20日
細江先生は奥さんと一緒にボストンに行かれる。先生の旅行中、論文に関する質問が出来なくなるので少々不安になる。日本では北村君が着々と論文を進めているようで若干あせる。
- 1995年11月24日
この頃、収穫祭で学校がおやすみになる。ドミトリーの食事も休止されインスタントラーメンで飢えを凌ぐ。近くのコンビ二でアメリカ版サッポロNo.1を買って食べた。後は大学の近くにあるMother
bear pizzaで食事をする。このピザ屋さんには留学中大変お世話になる。また、この店は細江先生の家の向かいにあるのでしばしば顔を合わせた。
- 1995年11月29日
細江先生がIUに戻って来られて初めての論文指導がある。前回の課題を報告し何とか形になり始める。日本では北村君が打ち込みに入るというメールをもらい。ちょっと焦ってしまう。このころ、日本からの救援物資第二回が届き嬉しくなる。今回はご飯があり、嬉しかった。
- 1995年12月4日 いよいよ、打ち込みに入る。論文は英語で作成したため、通常より随分と手間がかかった。タイトルは、"An Analysis of
StrategicNetwork Structure in the Airline Market"とつけた。11月の中旬から
しばらく気候は穏やかであったがこの頃から寒さがまた一番厳しくなってきた。
- 1995年12月13日
ビジネス・スクールの秘書のロキシーからクリスマスパーティーの誘いを貰い、ラスムセン先生をはじめとする先生たちと一緒に昼食会にいった。この頃、道路は雪だらけで運道靴では危なかった。そこでは、サーモンのサラダみたいなものを食べ、パイをデザートで食べた。有馬さんなら、泣いて喜んだと思う。
- 1995年12月14日
日本から小包が届いていた。ひろ子ちゃんからの誕生プレゼントであった。彼女以外、誰も誕生プレゼントを送ってくれなかった。でも、本当に嬉しかった。
- 1995年12月15日
この世に生を承って、初めて異国の地で一人ぼっちの誕生日を向かえる。この年の誕生日は修士論文が一緒に過ごしてくれた。当年、27歳!よくここまできたなぁと思う。
- 1995年12月21日
この日、細江先生からの許可をもらい、日本へ論文を送る。今回の留学の最大の目標が達成された。ビジネス・スクールのラスムセン教授から作成した論文をワーキングペーパーに加えてくれることを聞いた。それ用の修正を年末まで行なった。
- 1995年12月24日
当然ながら異国の地で初めて向かえるクリスマス・イブ。慎一郎くんはN.Yへ、やすこちゃんは帰国、香織ちゃんと文恵ちゃんはロスへ、久子さんはアルバニーへ。みんなどこかに行っちゃってEigenmann
Hallには誰もいなかった。ひろ子ちゃんと久しぶりに電話で話す。昨年、有馬記念にいって風邪をこじらせ肺炎になったことを考えれば雲泥の差で ある。
- 1995年12月31日
細江先生に頼まれていたTeXを打って年をこした。今年は紅白もレコード大賞もなしの大晦日だ。しかし、研究をして年を越すのもわるくはなかったように思う。カウントダウンと一緒に花火が上がった。ハッピーニューイヤー!
- 1996年1月1日
元旦、とはいってもこちらではあまり新年は大騒ぎしない。やはりクリスマスの時の方が凄かったように思う。夜、細江先生の家にいってすし太郎を食べ、ささやかながら新年を祝った。この研究留学もあと1ヶ月、有意義に過ごそうと思う。
- 1996年1月4日
九州大学に電話をいれる。送った論文が北村君のもとに届いたことが確認できて、取り敢えずホッとする。帰国前に旅行する計画をたて始める。
- 1996年1月頃 この頃、寒さが非常に厳しくなる。最低気温は零下15度。九州にいる自分にとってこの寒さは非常につらい。ドミトリーには暖房をつけるのを忘れないようにという警告文もでる。
- 1996年1月4日 日本の北村氏から修士論文が提出されたことを聞く。取り敢えずはホッとする。任期満了まであと1ヶ月、最後に観光をしようと思う。
- 1996年1月17日 ラスムセン先生宅に呼ばれる。パーティーに参加した。この時、自分の帰国が近付いていることを実感する。
- 1996年1月19日
細江先生がイタリアのヨーロピアン大学院大学に移るためフランスへ旅立つ。一緒にインディアナポリスまでいき、Laffyetteのパデュー大学へ留学中の古川先生に会いに行く。(パデュー大学)
- 1996年1月25日
朝の4時50分のシャトルでインディアナポリスに行き、ニューヨークのラガーディア空港行きの飛行機に乗る。U.S.Airという航空会社で自分ではまぁまぁ良かったと思う。約2時間で到着し、いよいよマンハッタンへタクシーで行く。ホテルにつくと何度も予約を変更したせいか"Oh,
Tohru. you have arrived at last!"と言われた。
- 1996年1月26日
待ちに待ったニューヨーク観光が始まる。最初にセントラルパークのそばにある観光案内所に行く。ここではマンハッタンの観光名所の割引券やプレゼント券、そして観光には不可欠の地下鉄とバスの路線地図を手に入れる。ニューヨークの地下鉄は恐いイメージを持っていたが思った全然そうではなかった。落書もマンハッタン内では殆んどなかった(もちろん、ブルックリンなんかでは違うのでしょうが)まずは、あのアメリカ横断ウルトラクイズの決勝戦の会場になったエンパイアステートビルに行く。展望台ではキングコングと一緒に写真が撮れたり、penny(1セント)を自由の女神の形のペンダントにしてくれた。記念写真を撮ってもらうがあいにくのい雨でマンハッタンの街並は写真には写っていなかった。次に5番外を歩いてウインドショッピングをする。そして、ブロードウェイに行った。そこでは色々なミュージカルをやっていた。次に地下鉄に乗って自由の女神を見に行く。(実はこの時まで自由の女神はマンハッタン島にあると思っていた。)舟乗り場では南米系のおっさんが寄ってきて自由の女神を見る双眼鏡を金をとって貸そうとするが、何とか断る。
- 1996年1月28日 N.Y
からバッファローに飛行機で移動する.空港でゼミの先輩である菅田さんと会う.日本では勉強はもちろん,色々お世話になっている方である.ナイアガラや海老を御馳走になる.帰りのとき,空港が雪で閉鎖され3時間空港に缶詰になった.
- 1996年1月30日 ラスムセン教授にお別れの挨拶をいい,Eigenmann
の友人にお別れをいい,IMUのホテルに移る.翌日,インディアナポリスからデトロイトに移動し,ノースウエスト95便で関空に向かう.
- 1996年1月31日 関空に着く.税関を通るときサングラスにスーツ,さらには伸び切った髪の僕の風貌が怪しまれたのか,別室につれて行かれHな本が入ってないか調べられた.
お礼:
この留学は私のこれまでの人生の中で最も貴重な体験の1つであったと思います.この留学の成功には冒頭にあげた方々はもちろんの事,宮野美佐さん,江副憲昭教授,そして河村ひろ子さんらの暖かい励ましのおかげだと思います.ここで改めて感謝の言葉を述べさせて頂きます.
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